偉大な母親

息子が生まれて、祖母となった母が出産祝いとして贈ってくれたのは、育児ロボットだった。最近は出産祝いといえば、このロボットが贈られる。20年前、母は父と離婚し、私を女手一つで育ててきた。「母親って仕事は、お給料はないし、お休みもない。でも、辛くても、苦しくても、あんたの笑顔があれば、それで十分よ」母はよくそんなことを言っていた。まあ当時は、お母さんすごい、ありがたいと思っていた。しかし年を経るうちに、母親は、苦労をねぎらってもらって、理想の母像を演じて理想の家族に浸ることで給料の代わりを得ているのだ、無償だなんて美しいものはないと歪んだ思いを持つようになった。

 

そんな私も、平均的に人間をやれるだけの能力を持った人間だったらしく、とりあえずは大体の人間が思い描く人生の節目を迎え、シアワセを手に入れてきた。一応、息子がお腹の中に宿った時には、感動して、胎内の写真をネットにばらまくぐらいにはとち狂っていた。

 

10年ほど前から、ロボットが育児の援助をこなすようになってきた。はじめは離乳食を作ったり、管理するためのシステムだったのが、夜泣きをコントロールしたり、予め絞った母乳を与えたり、お風呂に入れたりするという仕事もこなすようになった。そのうち、子どもの教育まで手がけるようになった。子どもにとっては母親が二人になり、正常な愛着が育たないという批判も多かったし、昔からの母親神話は根強かった。しかし、そんな批判を跳ね返すほど、人工知能は賢った。育児ロボットの導入から児童虐待は驚くほど減少し、多くの母親は効率的に子どもに対して愛着の形成、道徳心の形成、技能の教授を行えるようになった。

 

何より、子どもの想像力がものすごかった。ほとんどの子が、「おかあさん」は、しばしば柔らかい機械の中に入り込んでしまうもので、素晴らしくて、暖かいものだということを、非科学的な事象であっても信じ込んでしまった。そういう「おかあさん」の概念を形成させる人工知能のすさまじさたるや、ついに人間が人工知能に進んで洗脳される時代が来たと、世界を震撼させた。

 

しかし、育児ロボットが与えた利益は大きかった。保育園に入れる必要はなく、貧富の差に関係なく英才教育が行える。母親が機械に入ることができなくなってしまうほど子供が成長してからは、ホルモンバランスが崩れて激昂しようが、学校の勉強についていけなかろうが、いじめに遭おうが、秀逸な解決策をロボットは提供した。ロボットに嘆いているのは、もはや評論家か、学者か、懐古主義者、そして陰謀論信望者だけになった。この10年で世界は大きく変わった。

 

面白いことに多くの母親は、母親としての労働、知識体系の教授を肩代わりされたからといって、育児から離れようとはしなかった。もちろん貧しい家庭の母親はその分働いたが、そうでない家庭の母親は、趣向を凝らした料理をしたり、子どもの洋服を作ったり、家庭菜園や絵本作りなど、子どもにまつわる文化に走った。
母親は、子どもに手をかけることを望んだ。

 

多くが自動化されつつある世界で、無理にでも自分の時間を子どもに費やしたがった。
それが、自分の好意からきたものなのか、「母親は、休みも給料もない仕事だ。無償の愛だ」という美談に影響されたからなのかどうかはわからない。しかし前者の母親は「育児を趣味と混同するな」と批判され、後者の母親は「母親は偉大だという神話にすがってみっともない」と批判された。

 

祖母となった母が贈ってくれた育児ロボットは、非常に便利だった。最近の育児ロボットは、柔らかく、私の体臭まで模して、私の顔で私の声を話す。夜泣きになやまされることもなく、自分の時間を持ち、趣味である写真にも没頭出来た。息子は知らぬ間に私の話す語彙を超えて、シェイクスピアの物語をそらで言えるようになった。

 

私はどうやら、自分では気づいていなかったが、わずかではあるが精神疾患を患っているようで、皮肉が過ぎて人を信頼することができない人間であることがわかった。育児ロボットから、そう指摘されたのだ。私の母はそれを知って、幼いころの離婚が原因だと自分を責めたが、私は別に、人間関係に戸惑ったことがあるくらいで、母にいやな気持ちがあるわけではなかった。母は、せめて私の息子には影響が出ないように、健全な人間関係を築けるようにと臨んだ。もちろんそれは私もそうだった。

 

私の話す言葉の端々に、私の人間不信は表現されているらしく、私は育児ロボットから息子に関わる時間、話す言葉、振舞いを制限された。いくらロボットといえど、私の身体を完全に模すことはできないため、ロボットが言ったとおりに決まった時間に息子を抱きしめ、決まった知識を吐いた。

 

「ここで、彼は言うことをききません。おめでとうございます、反抗期です。しかし、成熟した一貫的な反抗ではありませんので、何に反抗していたのかすぐ忘れます。そのタイミングを教えますので、その瞬間に、先ほどのしつけをなさってください」
「子どもは言うことをきかない、といいますが、子どもの方も大人は言うことをきかないと思っています。そこで感情をぶつけては、2人の引かない子どもが言い合っているのと同じです」

 

ロボットは賢い。自分が子どものまま子どもを育てるところであったと思った。自分がこう可愛がってやりたいと思って思い切り握りしめ、柔らかい土人形をつぶしてしまうところであった。

 

息子は本当にいい人間になった。誰にでも愛され、勉強も運動もでき、大きな病気ひとつせず、私を慕ってくれている。私は周りからも評判の良い母親になっていた。
私は息子にほとんど関わってこなかった。育児は遊びではないといわれてきたから、自分を押し殺して、任務を遂行した。それだけだ。私は本当に母親という「休みも給料もない仕事 」に従事していたのだ。

 

自分を殺して、”正しく”関わること。

 

それを「偉大な母親」と人は呼んでいる。