司書

「ここの大学に、図書館があるだろう。

あのでかいほうのじゃなくて小さい、おんぼろの方のやつだ。

そこの司書に相談してみるといい」 
 
小さな新聞社で
ほんの目の休憩に読まれる小説を書く
しがない作家の愚痴を聞き飽きたのか 
   
大きな新聞紙の
これまた大きな一面を飾る論文を書く
辣腕気鋭な学者は早くも結論を下した   
 
 
  ◆◆◆  
 
 
「まあ一言でいえば、賢者だな」

 

「ほう。これはロマンチックな」 

 

「いや、これがな、彼はなんというか、理論を喋ることができないんだよ。

普通の言葉じゃ」

 

「なんだ? 賢者だけに魔法の呪文でも使うってのか」

 

「…そうだな。言い得ているかもしれん」 
 
彼の冗談でないような物言いに  
呆れ顔で相槌を打ってやると
すぐににやけて言葉を続けた
 
「本で、語るんだよ」  

 

「本?」 

 

「ああ。本が彼の理論言語なのさ。」 

 

「どういうことだ。俺はハムレットとでも話せるっていうのか」

 

「はは そりゃあいいな。」 

「同僚に心理学者がいるが…

写真と絵画の違いを追っているんだが 

そいつは東洋のポルノ画集を渡されてな」

 

「それは個人的に読みたいな」 

 

「東洋のポルノ画を、見たことあるか

性器がいやにばかでかく描かれてるんだ」

 

「シュンガ、だろう。博覧会で観た。ありゃあすごいな」 

 

「それでな、やつは気づいたんだ

人間は視界の中の一点を拡大して見ているんだって」

 

「ほほう、それに気づくまで

何回へとへとになったんだろうな」

 

「お前と話すといつも話がやらしくなる」 

 

「だから話したくなるんだろう、お前もやらしい奴だってことだ」 
 
彼との会話を思い出しつつ
示された方向へと歩いてゆく
 
楓の並木道が続き
道とも言えないような道の先に
それはあった
 
「ははあ、仰る通りで」 
 
煉瓦造りで、一昔前に流行った
カテナリーアーチの間に
小さな扉のあるそれは
懐かしさを感じさせる
いい古さを持った建物だった 
 
中に入ると、図書館らしく
立派な受付卓が出迎えてくれた
 
人は、いないようだ
 
「そこの図書館はな、司書が1人いるだけ
…それっきりだ」 
 
友人の言葉を頭に巡らせ
その建物内を歩いて回った
 
「本当は閉架書庫として、論文なんかを保存するところなんだけどな

いつのまにか、それは新しく用意された書庫の方に保存してしまってなあ」 
 
本棚を観て回ると
まあなんとも面白そうな本が
沢山収まっている 
 
「絶版になったものも置いてあるぞ」 
 
子どものころ、夢中になって読んだ小説

装丁が奇妙で手に取ろうとも思わなかった本

物語だけかと思えば、プリンキピアまできちんと揃えている

しかもこれは、原本の写本か?
 
ふと、取った本の隙間から人影か見えた
 
急いで本棚の裏へ回る
 
司書が…多分これが"賢者 "なのだろうと
雰囲気で悟る…そこに座っていた
 
古びた本を抱え、
ゆっくりと見つめながら
 
「あんたか、ここの司書は?」 
 
「…」 
 
本当に、本で喋るのだろうか
 
「私は作家をやっていて…
まあそんな仁王立ちして言える身分じゃないんだが…
 
ほら、ここの地域新聞の小説欄にあるだろう、「爪」って小説。あれは私が書いているんだ。まあ読んだこともないと思うけど」 
 
司書の動きが止まった


視線は本に注がれたままだが 
どうやら話を聞いてくれているようだ
 
「なんだかなあ

…本って、何なんだろうな」
 
「人気が欲しいとか

金儲けがしたいとか

才能に溺れたいとか 

まあ突き詰めればそうなるんだろうが」 

 

「立派な本を、書きたいんだ」 

  
沈黙が続いた

 

藁にもすがる思い
というわけではなかったのだが
なんだ、こりゃ
 
面目が潰れる思いだ
 
司書がおもむろに立ち上がった
 
読んでいた本に指を差し入れて
しっかりと栞をしてから、
ある本棚へと向かう
 
北風と太陽、マクベス、ロビンソン…
 
古典だ
 
その中から、小綺麗な一冊を取り出す
 
それはもちろん、私に向けられた
 
「…お勧めの本、ですかな?」 
 
本が自らの手から離れると、
司書はまた、読んでいた本に向き直る
 
私もその真似をして、隣で本を開いた


古典のくせに、それはからくりが次々に出てくる話だった


洗濯機に自動販売機、自動車は勿論のことオルゴールと、コンロのようなものまで、 
これを書いたのはきっと古代の発明家か、誰かか


私は学生時代に、母語で読める名作の古典という古典はほとんど網羅していた。まだ著者も知らぬようなものがあったとは。古典はやはり奥が深い。昔の人間も今の人間も、その思考の豊かさだけは変わっていない
 
「…面白い」 


「読むのが早いな。頁が可哀想だ」 

 

「おお、なんだちゃんと話すんじゃないか
友人から、あんたは本で語るなんて吹き込まれたもんだから、喋らないのかと」 
 

「…頁は空気に触れたがってるんだ
空気には、光も酸素も水もある」 
 
司書は視線を本に向けたまま話した
 
「そんなことはないだろう
光に当たれば文字は消え
酸素に当たれば紙は焼け
水に当たれば…
本が自殺したがっていれば別だが」 
 
「光に当たれば文字は目に入り
酸素に当たれば紙は鼻をくすぐり
水に当たれば肌を撫でられるだろう」 

 

「ほう…
詩が好きな方ですかな」

  
「今、ゲーテを読んでいる」 
 
「でも本にとっちゃあ不合理だなあ
そこまでして、身を削ってまで
空気に当たりたいのか」 
   
「人間ほど厄介なもんはないよ
奴らは不合理を合理にすぐ変えやがる」 
    
何やら噛み合わない会話


話を変えたくなる 
 
「それにしても、こんな珍しい本を
あんたどこで手に入れたんだ
私はこう見えて、古典には詳しいのだが
こんなに歴史に名を馳せそうな
珍しい内容の本を知らなかった」 

 

「…簡単だ。私が書いた」 

 

驚きの間がどっぷりと
部屋に充満した
 
相変わらず本に視線を落としたままの
司書を見て、自慢でも、からかいでもなく
私の反応を見るための言葉ではないことを
理解し、言葉をそのまま受け止めた 

 

「それは…手に入れやすいな
でもそれは、古典の棚にあったものだろう
あんたが書いたなら、もっと…
そう、例えばこの棚とかに置いてしかるべきなんじゃないかな、司書さん」  

 

「いつ誰が書いたもんであろうと、ここじゃあ私だけが正しい収め場所を知っているんだ」

 

 「はは 読者は場違いな部屋に住む物語に驚くわけだ」 

 

「古典の可能性の大きさに感動して、古典の概念が輝くかもしれん」 

 

「そりゃまた」 

 

「いい屁理屈だろう」 

 

「そんな厄介な人間は
あんたぐらいしかいないよ」 

 

「そうかい」  

 

「あと、俺くらいか」

 

「…そうかい」

 

もう、話すことはないと

司書は手元のボロボロになった本を抱き直すと

丁寧に頁を一枚めくり、空気に触れさせてやった 
 
それを会話の終焉と察し
私は外に出る
 
楓が揺れ
空気は黄土色に染まり
太陽は少し疲れかけていた
 
「賢者か…
何を授けていただいたってんだ
ははっ…」 
 
また、売れない話でも書くか 
 
「”正しい”収め場所に、
収めてもらえるような…」

 

◆◆◆

 

人間はいくつもの本棚を前にして
日々を生きる
 
しっちゃかめっちゃかな配列で
読んだ後に元の場所に戻されない本で
溢れかえる本棚や 
 
自己啓発本しか置いていなかったり
浅い恋愛小説しか置いていなかったりと 
偏った内容しか収集されていない本棚
 
ある人はその前を溜め息と共に素通りし
ある人は溜め息交じりにその棚の本を撫でる 
 
本はそれぞれ
司書が愛着と志向を持って収められた
正しい場所にあるのだ
 
図書館は無限に拡がっている
 
どんな本が読みたいのだ 
 
 
 
 
どんな人に、出逢いたいのだ